Chapter T  性悪男



文書第130489号 平成○年○月○日   防衛省魔法本部国際課 

内容はヴォルデモートについての調査及び捕獲。ハリー・ポッターの非公式な護衛も含まれる。 ホグワーツ魔法学校にて闇の魔術に対する防衛術の助教授として就任し(既にホグワーツ魔法学校校長アルバス・ダンブルドアの許可は受諾済みである)追って報告書を定期的に提出すること。 猶、期間は任務受理から一年とする。その期間内は外交特権を行使する権利を認める。 この文章は機密情報で有る為、第一級極秘書類に指定する。

以上









大雑把に書類に目を通した後、俺は軽く溜息を吐いて窓の外を眺めた。
眼下に広がるのは透き通った青さの空。そして綿菓子のように白い雲。
飛行機のエンジンが回転している鈍い音も、慣れればそう居心地の悪いものではない。

ヴォルデモートやハリー・ポッターの履歴、任務の概要、その他諸々の留意点。 日常的な読書は別に嫌いではないが、こうも堅苦しい文章が小さい文字で何枚にも渡ってびっしりと書かれているのを 読まなければいけないというのは、どう好意的に解釈しても嬉しいと思えることではない。

それでも仕事だからと自分を奮起させ、書類の束と格闘すること占めて四時間。 新しく入ってきた情報量は半端無く、後少しで脳味噌が爆発してしまいそうだ。

「お客様。お飲み物は如何ですか?」
「ハチミツ入りのミルク。ホットで」

真面目な顔で即答すると、フライトアテンダントのお姉さんはちょっと息を止めて驚いたような顔をした。 その思わず出てしまった彼女の素の表情に畳み掛けるように、俺は微笑みながら注文を付け足す。

「ハチミツは出来るだけ沢山入れてください」

これくらい外交特権に含まれるよな? と見当違いなことを考えつつ、うーん、と思い切り伸びをする。 長時間同じ姿勢での作業は苦痛だ。目は疲れてしばしばするし、肩は凝って物凄く重い。飲み物を作りに行ったフライトアテンダントが、 同僚の女の子とクスクス笑っている声が小さく聞こえてきた。

大方、今の注文で笑い話を咲かせているのだろうが、俺は別に変なものを頼んだつもりはない。
誰だって、頭をフル回転させ続けたら大量のブドウ糖が欲しくなるというのは常識だ。

ただ…俺の場合、極度の甘党がそれに拍車をかけているんだろうけど。

「お待たせ致しました」
「あ。ありがとう」

注文通りハチミツが入っている暖かいミルクを持って来てくれた彼女に取り敢えず社交的な笑みを返して 頭を下げ、白い紙コップを受け取る。容器越しに掌に伝わってくる液体の温度はとても熱かった。

猫舌な俺には若干熱過ぎるので、少しずつ冷ましながらちびちびとミルクを口にする。
口を付けた所から僅かに広がる波紋。その味は、頼んだ通りに水飴のような心地よい甘さだった。

書類を鞄の中に注意深く仕舞い、銀色の腕時計に目を落とす。刻々と時を刻む黒い針は、航空機に搭乗してからもう既に五時間も経っていることを示していた。

イギリスまでは約十二時間だから、大体後七時間。長い。一日の四分の一以上だ。
特に退屈を紛らわせるものを持ってきていなかったので、暇で暇で仕方が無い。

が、愛銃の手入れなど始めるわけにもいかないし。不可侵権があるとはいえ、それは流石に不味いだろう。機内火気厳禁。 だがしかしそうは言っても、何時まで経っても空の色は変わることがなく、外を眺めるのもそろそろ飽きてきた。

(……。…寝るか)

最も無難な結論に落ち着いたので、俺は飲み終わって中身がもう入っていないコップをテーブルに空いている穴に差込み、 ゆっくりと両目を閉じた。ふわり、と、朦朧とした意識の中で毛布が掛けられた感触がする。お礼を、言わなければ。

けれど使いすぎた神経は直ぐに俺を深い睡眠状態へと導き、まもなく俺は小さな寝息を立て始めた。









「ミスター ?」

ロンドン・ヒースローの出迎えロビーでまず最初に声を掛けて来たのは、黒いスーツに身を包んだ割りと身長の高い黒髪の男だった。 身長が高いと言っても、俺に比べての話だ。ヨーロッパの人は日本人に比べて背が高い人が多いし、もしかしたら彼の身長も その中で見れば一般的な方なのかもしれない。

それは兎も角、彼はつかつかと躊躇いを見せず歩み寄って来て、無遠慮に俺の顔を見下ろした。 黒い瞳がまるで値踏みするように俺の全身を嘗め回す。非常に不快だったが、理性を総動員して日本人の必殺技「スマイル0円」で 必死に耐えた。えらい、俺。

「そうです。失礼ですが、貴方は?」
「セブルス・スネイプだ。アルバス・ダンブルドア校長から君のサポートを任された」
「それはわざわざご丁寧にどうも。お世話になります」

こっちが深々と頭を下げているというのに、目の前の黒尽くめのスーツ姿の男は全く反応しない。 いや、それは正しい表現ではないかもしれない。反応はしている。但し、苛立ったように眉間に皺を寄せる、という方法で。

ああそうか、こちらでは握手が一般的かと思い直し、彼の額に浮かんでいる皺も単に困っているだけかと無理矢理好意的に解釈して、手を差し出して見せる。けれど 男はそれを 握り返すこともなく、はん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

うわあああむかつく凄くムカツク張り倒したいこいつぜぇーったい友達いねぇ賭けても良い根暗で性悪だ 根性悪くて影で人のことこそこそ苛めてほくそ笑んでるタイプだ他人の不幸は蜜の味とか言っちゃう奴だ最低最悪まるで悪魔だ。 ――それこそ一瞬で、俺の中でのこの男の第一印象が決定された。あながち、間違っていない気がする。

「わからんな」
「…は?」
「日本政府は、こんな優男しか送って来れなかったのか? これなら、番犬の方が幾分かマシだ」
「……」

奇妙な沈黙が降りる。腹立たしいことに、それはまるでこの性悪男がこちらの出方を伺っているような、そんな間だった。俺を試しているのだろうか。

これから一年間、この男の力を借りなければならないというのだから、屈辱的過ぎて泣けてくる。 だが、俺はぷつりと切れそうな 糸を必死にセロハンテープでぐるぐると巻いてくっつけて、やはりにこやかな笑みを浮かべたまま事務的な口調で彼に言った。

「貴方の期待にお答え出来なくて非常に残念です。此方としては、其方の意向に沿えるように最大限努力させて頂きたい と存じておりますので、宜しくお願い致します」

ちっ、と明らさまに舌打ちする音が聞こえた。それに続いて即座に「行くぞ」と 一言麗しいアルトの声で呟いて、彼はすたすたと歩き出す。俺がちゃんと付いて来ているかどうかなど、全く関心に無いらしい。

「え? あ…あの、どちらに…?」
「我輩の家だ」
「……。何故…?」

何を馬鹿なことを質問しているのか、と言わんばかりの恐ろしい睨みを利かせた顔で、彼は立ち止まって振り向いた。 眉間の皺の数が、先程よりも多いのは気のせいか。

「『ミスターはホグワーツについて余り詳しくないだろうから、セブルス、入学式まで君の家に泊めて出来るだけ教えてあげると良い』」

猶も首を傾げている俺に呆れたような怒ったような視線を向けた後、彼はもう振り返ることなく早足で進み始めた。 その後姿からは、お荷物を押し付けられたという苛立ちが間違いなく…というよりも、隠すことなく漂っている。

「――ダンブルドアの命令だ」
「……。つまり、俺に貴方の家に厄介になれ、と」
「入学式までだ。それ以降は学校の寮に行って貰う」

酷く気だるそうな彼の口調に、だがちょっと待って欲しい、と、俺は心の中で呟いた。 俺が同居? 例え短期間であったとしても、この性悪男と? 拒否権は? 嫌がらせ? 諸悪の根源はそのダンブルドアって人 ? ――ああ、いっそ、打ち切れて暴れることが出来たらどんなに楽か。

けれど現実は無常なもので。数分後、酷く汚い彼の家を見て、俺は眩暈を起こしそうになるのだった。
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