Chapter U  拷問人



「スネイプさん。スーネーイープさーん! 起きてください。朝ですよ」
「……。煩い…」

地鳴りのように低い声で黙れと脅してくるので、仕返しにフライパンの裏をスプーンでがんがんと叩く。
うがぁ! と悶え苦しむような声がして、男は酷い形相で此方を恨みがましく睨みつけて来た。が、そこで 俺は反論する隙など与えず、一人先に朝食を食べ始める。彼は少し黙り込んだ後、腹立たしそうに洋服を引っ掴みながら、 荒々しい足音を立てて洗面所へ向かった。今日も俺の勝ちだ。

セブルス・スネイプ。――彼の家にお世話になることになってから、一週間が過ぎた。

ホグワーツについて学ぶはずだったのに、押し付けられたのは一冊の分厚い本だ。 『ホグワーツの歴史』まあつまり、彼には教える気がないらしい。その後はひたすら放置プレイだった。別に嫌ではなかったが。

そんなこんなで、独学で学んでいつの間にか時間は過ぎて、早一週間。 初めは慣れずにどう接すれば良いかわからなかったものの、今では何とかなっている。セブウス・スネイプ本人についても気付いたことは幾つかあった。

例えば、彼は寝起きが凄く悪いということ。
例えば、几帳面そうな雰囲気とは裏腹に、彼の机は物凄く汚いということ。
例えば、彼は料理が物凄く下手糞であるということ。その癖、何故か紅茶を入れるのだけは上手い。

何だかんだと嫌味は四六時中言って来るものの、慣れれば「はいはい」と軽く聞き流せるようにもなった。 そんな風に俺が真面目に取り合おうとはしなくなったので、彼も大分飽きてきたのか、最近は文句を言う回数もめっきり減って来ている。良い傾向だ。

よくよく接してみれば、あんなに分かりやすい性格の人はそうは居ない…と、言えなくもない。

「……」
「ああ、スネイプさん。おはようございます」

むっつりと無言で椅子を引いて正面に座ったスネイプに、俺は爽やかな笑顔で挨拶をした。 人間、例え嫌いな相手でも挨拶を交わすべきだ、というのは俺の持論だ。彼がやはり黙っているのを見ると、残念ながらまだ賛同は得られていないようだが。

カーテンが開かれた窓の外では青い空の下、小鳥が囀って枝から飛び立つのが見える。セブルスはそれをとてつもなく嫌そうに眉を顰めて見やりながら、 フォークを取って、半熟の目玉焼きにぶすりと勢い良く突き刺した。とろりと黄身が流れて、重力に従がってハムの上を黄色く染めていく。

「今日、ダイアゴン横丁に行ってみようと思うんですが」
「…何故? ホグワーツで必要なものは揃っているだろう。観光でもするのか?」
「情報収集ですよ。スネイプさん、もしかして俺が仕事で来てるってこと忘れてないですか?」

一瞬、彼のフォークとナイフを操る手が止まる。 直ぐに何事も無かったようにハムを口に運んでいたけれど、もしかして本気で忘れていたんだろうか? まさか。

「それで、スネイプさんに一緒に付き添って頂きたいんです。お願い出来ますか?」
「…一人で勝手に行けば良いだろう。どうして我輩が」
「俺がマグルだからです。俺だけでは、ダイアゴン横丁には入れない」

俺の言った言葉の意味を、即座には理解出来なかったらしく、再びセブルスの手が止まる。俺は砂糖とミルクとシナモンが たっぷりと入ったコーヒーを口にして、まるで何事も無いように食事を終えた。

「――スクイブ、なのか?」
「スクイブ? …ああ、魔法使いの家系で魔法を使えない人のことですか? いいえ、そうではなくて」

何と表現すれば良いのかわからなくて、一瞬迷う。

「ええと、何と言うか、ですね。日本には、魔法使いが少ないんですよ。しかも、あまり魔力は強くない」
「…日本にも、クイディッチチームはあると聞いているが?」
「ありますよ。でも、強豪になれる程上手い人が居ない。魔力の絶対量が少ないんです」

特にバブル期とそれ以降は魔法使いの減少が顕著ですね、と、俺は複雑に口元を歪めながら呟いた。 魔法に頼らずに十分満足のいく生活することが出来た結果だ。優秀な魔法使いの血を残そうと努力しなかった怠慢の結果、とも言う。流れに 身を任せるなあなあ主義は、日本人の長所であり短所だ。

数少ない日本の魔法使い達は、参加したい者がたまに会合を開いたりするくらいで、特に統制された機関に属したりしているわけではない。 政府によって魔法使いと認定された者は登録所に記名されるが、問題が起こらない限り干渉はしない方針だ。それに好都合なことに、彼らの中には魔法に 寧ろ関わらずに生きて生きたいと思っている人の方が多い。

「だから、日本の魔法本部にはかえって魔法使いよりもマグルの方が多いんですよ」
「――純血の魔法使いは」
「ああ、そういうの気にする方ですか? いますよ。何人か」

もう何も乗っていない皿を手際よく重ねていきながら、俺は彼の質問に答える。たまに盗み見る彼の表情は 表現し難いもので、怒っているのか哀れんでいるのか単なる好奇心から来ているのか、いまいち良くわからない。 ――ただ、鏡を見なくても、俺の口元には微かな微笑が浮かんでいるだろうことは、間違いないと確信出来た。

「……。理解出来んな。まあ、こんな役に立ちそうに無い優男を寄越した理由は分かったが」
「単なる文化の違いって奴でしょう。――後、こう見えても俺結構強いですよ?」
「ふん。…どうだかな。弱い奴は、大概そう言うものだ」
「あー。信じてないですね?」

俺の抗議する言葉に耳も貸さずただ馬鹿にしたように鼻を鳴らして、彼は俺が洗っていた皿の上に自分が食べ終わった皿を乗せた。 どうやら、自分の分も洗え、ということらしい。朝食を作らせておいて、更に皿洗いを押し付けるなんて、なんて我侭な男だ! と心の 中で悪態を付きながらも、俺は泡に塗れた白い食器に勢い良く水道の水を注ぎ掛けた。









「大丈夫ですから、そんなに怒らないで下さい。スネイプさん」

穏やかに宥めようとしても、彼は眉間に深い皺を行く筋も作ったまま荒いだ声で怒鳴り続けた。

「駄目だ! 危険過ぎる。それでなくてもあそこは危険なのに、加えてお前はマグルだ!」
「…だから、俺も曲りなりにも魔法本部の人間ですから。一通りの訓練は受けていますってば」

服従の呪文に抗う方法。相手の魔法使いが此方に魔法を使ってくる前に、対応する方法。 魔法を使わずに、相手に情報を吐き出させる方法。 相手が魔法という優位なものを扱うだけあって、俺達魔法本部が生み出してきた対抗手段にはえげつないものも少なくない。

――と言って説得しているのに、目の前の男は全く人の話に聞く耳を持たない。どうしても俺をノクターン横丁に入れたくないらしい。 話始めてから随分経過しているのに、何時まで経っても平行線だ。週末のダイアゴン横丁の喧騒さが耳を付いた。見知らぬ子供が大きな声で 母親を呼ぶ声が聞こえる。…もう説得することを諦めて、俺は小さく肩を落として溜息を吐いた。

「貴方が俺の心配をして下さるのは嬉しいんですが。一応、仕事の一環なんです。諦めてください」
「誰も貴様の心配なぞしていない! ただ、お前に何かあったら我輩が困るから止めているだけだ!」
「別に、俺が死んでも代わりが来るだけですよ。一人で十分ですので、この近くで待っていて下さい」
「あ! こら、待て、!」

俺はノクターン横丁に行くのを妨げようとするセブルスの腕をするりと流れるようにかわし、 ダイアゴン横丁とは違う、空気の湿った陰湿な通りに足を一歩踏み入れた。湿気を多く含んだ纏わり付くような嫌な雰囲気の中で 歩みを進めれば、石砂利が風流とは程遠い不快な音を立てながら足の裏で擦れる。細い路地が複雑に入り組んだまるで迷路のような構造のせいで視界は最悪だった。日の光などここには一日中届かないのだろうと思わせる位薄暗い。

後ろから付いて来たセブルスは、もう怒鳴りこそしていなかったが、眉間の皺は今まで見た中で 一番と言えるくらい増えていて、堪忍袋の緒に後少しでも触れたら切れて爆発してしまいそうだった。

「本当に、大丈夫ですから」
「……」
「そこそこ現場も経験してますし、こういう場所に入る機会も多いんです」

何を言ってもセブルスは反応しない。むっつりと唇を引き締めたまま、視線をこちらと合わせずに気を張り詰めて 警戒している。その一生懸命さというか責任感の強さというか、頑固さがなんだか俺から見るととても滑稽だった。 肩を張りすぎると無駄に体力を削るだけなのに。

突如――交差する路地から、背の小さな醜い男が飛び出してきた。

彼の持っている薄汚い杖の先は、真っ直ぐに俺に向いている。セブルスの顔に、しまったと驚いているような表情が浮かんだ。 けれども、そんな反応を示している時間すら勿体無い。俺は突然襲ってきた魔法使いが唇を動かして呪文を唱え終わる前に、流れるような動作で躊躇い無く一歩右足を踏み出して近づいた。 醜男が怯んだように身体を後ろに引くが、構うことは無い。

同時に懐から滑るように取り出したコルト・パイソンの重い引き金を引き、間髪入れずに二回、的を僅かにずらして繰り返し発砲した。 精密射撃に不向きなダブルアクションリボルバーはしかし狙った場所を的確に貫き、金色の弾丸が物凄い速さで男の肉を引き裂き骨にのめり込み幾筋もの血管をぶった切る。

最初は杖を落とす為に手の甲を。次に集中力を奪う為に生殖器を。
最後に額にその銃口を当てて、目の前で下半身を震わせながら崩れ落ちた男を見下ろす。

赤い血が、まるで散水を思わせるように勢い良く路上に飛び散っている。それは何処か安物の芸術品を思わせるような濁りがあった。 痛みで泡を吹いている男の両頬を俺は容赦なく張り倒し、失神して現実から逃れようとする彼を地獄へと引き戻す。

「ヴォルデモートは何処だ?」

男は恐怖で狂ったように白目を向いたり瞳孔をぐるぐると回した。その度に、何度も何度も俺は彼の両頬を加減もなしに叩く。 何度も、 何度でも。 引き摺り下ろして、 痛みで気が狂う寸前まで追い詰めて、それでも手を抜く事無く彼を淵の淵まで追い詰める。

男の顔は脂汗と涎と涙に塗れ、黄色い歯が幾つか抜けて勢い良く地面に叩きつけられていた。 俺は今、この男を拷問している。 そこには何の感情もなく、強いて言うなら、これは俺の『仕事』だった。

血で男の下半身を覆う衣類が全体的に赤く染まった頃、ようやく口を利けるようになったのか、男は縺れる舌で喘ぎながら、小さな小さな声で「ひはふぁい」と言った。 けれどもそれは、俺の望んでいた答えではない。 俺は一旦額から銃口を外し、無言で彼の左太股を打ち抜いてから、再び脳味噌へ銃口を合わせた。

ぎいゃあ! と絞め殺される鶏のように哀れな 声で鳴いて、男は再び気を失おうとする。もう幾度目かわからないが頬を叩いて意識を戻させ、俺は静かな声で尋ねた。

「『知らない』? 嘘だったら次は肺だ。答えろ。お前は本当に『知らない』のか?」
「ほ、ほんほぅは…ひんひへくへ…」

もはや言語として成り立っているかも怪しいほど回らない呂律で男は慈悲を乞う。どうも本当に知らないようだったので、俺は無駄な労力を 使っただけかと嘆息しながら、銃を懐に戻して襟元を調えると、セブルスに向き直った。

「どうも、単に金品強奪か何かが目的の通り魔だったらしいですね」
「……」
「もう彼に用は無いから、行きましょうか」

けれど、セブルスから返事はなかった。さっきからの不機嫌が続いているのかと思えば、どうも違う。 彼はじめじめした泥まみれの汚い塀に手を付いて、目に見えて分かるほど、背中を震わせていた。

「スネイプさん? ――どうし…」

余りにも様子がおかしいので、心配になって彼の背中に触れると、 セブルスの喉が変な痙攣を起こした。彼の瞳が大きく見開くのが視界の中で捉えられた直後、物凄い勢いで突き飛ばされて、俺は地面に尻餅をつく。 一体何だ? 俺が何をした?

泥が付いてぬめる掌で体重を支えながら起き上がって文句を言おうとした、次の瞬間、セブルスは崩れ落ちるように膝を付き、ごぼり、と咳き込むような嫌な音を立てる。

「ぉ、ぅおえええぇぇぇっ…!」
「ちょっ、大丈夫ですかっ?!」

地面に吐き出された彼の吐寫物に、俺は慌てて前に街頭で配っていたのを貰ってそのまま鞄の中に入れておいたはずのポケットティッシュを探した。
home back next
(C)akizuki_s Rights reserved.